“l’ll close my eyes ” に込めた想い。


始まりは、5年、6年くらい前、若松 鉄人Jazzのオープニングで、ピアノを演奏させていただいた時の事。

毎年開催される、この、大きな大きなコンサートに向け、数カ月前からリーダーの和田寛一さんを中心に、皆んなで準備が始まります。今回のスペシャルゲストはね、ニューヨークから来日する、ものすごいベーシストと、ドラマーだよ!と、情報を聞いた時には、ワクワクしました。

そんな方と、同じステージに立てるなんて、なんて、光栄な事でしょう。企画して下さった和田さんに、感謝、感謝でした。そんな中、本番の日がやってきました。リハは、絶対聴きたい!と、ホールの扉を開けると、ステージ上に、皆さんの姿が。何やら、英語で喋っています。さあ、では、演奏してみよう!と、音を鳴らしたら、、、大ホールいっぱいに響く、包み込まれるような柔らかく、美しいサウンドに、とても幸せな気持ちになりました。

あ!そうだ!これは、ニューヨークにいる友達に知らせなきゃ!と、すぐに、サックスプレイヤーである彼にメールをすると、「え!今、彼、そこにいるの!僕の仲良しの友達だよ!よろしく言っといて!」と。お!これは、挨拶しなきゃ。と。バッタリ楽屋前の廊下であったベーシストの彼にその旨を伝え、来週、また、私はニューヨークへ行く予定にしている事を伝えました。すると彼は、「え!なんて偶然!君、ピーターの友達なの?ここで会えるなんて!彼とは、先週ギグしたばかりだよ!じゃあ、また、ニューヨークで会おうね! Nice to meet you!」と。
これが、Harvie.Sさんとの初めての出会いでした。

そんなHarvie さんが、この日から5年後には、私のCDをプロデュースして下さる事になるなんて、誰でも予想していませんでした。
そんな、感動的な出会いを、私は、記憶の中に大切に閉まっていました。
そして、あとからの話、Harvie さんは、この日、私と会ったこと、全く覚えていませんでした。^_^ よくある話です。

その頃、私のニューヨーク滞在は、ほぼ、毎年、ピアノレッスンを受ける事と、ピンポイントで好きなアーティストのライブを聴きに行く事で、決まったスケジュールで動いていました。その頃の私は、とにかく、自分が弾くピアノが大大大嫌いで、この先、どう動いて良いのか分からない時期でした。ピアノが、好きだし、ただ、みんなみたいに、自然にピアノが弾ける様になりたい。ですが、長年クラシックを学んでいた私がジャズを弾く事は、ピアノ技法、理論、即興演奏が、私にとっては違和感だらけでした。まるで、別人が弾いているように…。一からジャズをする事も出来ず、だからと言って、クラシックを弾いていた時の様に自由に弾く事も出来ず…。クラシックを演奏する時の十分の一以下すら弾けない自分の、非常に中途半端な状態にいつも苛立ち、葛藤していました。学生時代、あんな奏法も、こんな奏法も、いっぱい練習して、弾けるようになったのに、ジャズをやると、とたんに、全然使えない…。それでも、その当時から私を気にかけてくださったミュージシャンの方々は、「ほんとは、もっと弾けるのに。なんで、そんなに分けて考えるの?そんな考え方するから、音が不自然になるんだよ。」と、今までの自分を否定せずに、新しい事を取り入れては、自分の中でミックスして、自分のスタイルを創りなさい。と、ヘルプして下さる方々の存在が、本当に大きな支えでした。そんな恩師や、仲間達のお陰で、時間はかかりましたが、今では、そんな、辛く長かった時期を乗り越える事ができました。

Harvie さんと、ニューヨークで、初めてちゃんと話しをした時は、まだピアノと葛藤中の時期で、私は、こんな事を話していたと思います。
Harvie さんへの第一声が、「私は、自分のピアノが大嫌いだ。」と。
いきなり、良く知らない人からそんな事言われて、Harvie さんも、ビックリしていました。
だけど、みんなみたいに、自然に弾けるようになりたい。と、話しをするうちに、彼は、私のつたない英語の内容を理解してくれ、「僕は、君にジャズを教える事は、出来ないけど、ヘルプならできると思う。君の先生は、いつも、チャーリー・パーカーや、バド・パウエル、セルニアス・モンク、ビル・エバンス、、、のような、最高のミュージシャン達で、彼らが、レコーディングを通じ、君に沢山の事を教えてくれるんだ。」と。その日の事は、今でも覚えています。

それから、毎年の滞在で、Harvie さんには、リズムの事、歴史の事、ピアニストの野瀬さんには、ピアノ奏法、即興の方法、ピアニストのDavidさんには、ハーモニー。彼らの所に行っては、毎回、それぞれの方々に違った角度から、沢山の事を教えていただきました。今回教えた事は、来年には出来るようにね。と、日本へ帰って、また、練習…。そんな時期が何年か続き、少しずつ、昔の自分と、これから自分が繋がり初めた時、Harvie さんが、よし、来年、録音しよう。と。
初めて自主製作のアルバムをニューヨークで創ることは、私にとっては、一大事でした。
ウカウカしてられないわ!
そこからは、より一層、ピアニストのDavidさんにヘルプしていただきました。私がアレンジした楽曲をニューヨークにいる間は、Harvie さんと演奏をし、私はもっと良くするにはどうすれば良いかなど質問すると、Harvie さんは一通り説明してくれた後、ピアノハーモニーの事は「David の所へ行った時、彼にしっかり聞いてこい。彼なら素晴らしいアドバイスを沢山くれるはずだ。」と。David さんからは、「Harvie は、きっと、こんなのが好きだと思うよ。」お互い音楽大学の教授をなさっていて、仲の良いお友達同士でもある、このお二人から、音楽面でも、精神面でも、ダブルでヘルプしていただいた事は、とても心強かったです。

日本へ帰ってからは、このCDの為にアレンジした楽曲を、5年以上組んでいる私達のバンド、ACS piano trioのライブで、ベーシストの田中誠さん、ドラマーの宮吉英彰さんと演奏していました。幅広いジャンルの音楽に即座に対応してくださる、ドラマーの宮吉さんは、私が書いた数少ない情報の譜面から、理想通りの音楽を奏でて下さいます。また、私がどんなピアノを目指したいのか、とてもよく知っていて、良き理解者である、ベーシストの田中さんは、このCDの為に、非常に多くの時間を一緒に費やしてくださり、いつも、私には気づかない視点から、非常に的を得たアドバイスを沢山下さいました。長い間、一緒に創作活動をし、私に大きな影響を与えてくれたベーシストです。この2人と、ライブを繰り返し、準備に準備を重ね、レコーディング前には、母校である、大分県芸術短期大学の練習室にこもり、朝から晩まで練習し、学生時代からお世話になった喫茶、茶王のひろえさん、お母さんが、作ってくれたお弁当をいただき、、、ニューヨークへ行ってからは、先日、ブルーノート公演を終えたばかりのマリンバ奏者のミカさんがヘルプしてくれ、あるミュージックスクールのボスが、快く、練習室を貸して下さり、、、。レコーディング当日には、エンジニアさん、フォトグラファーさんを始め、沢山の方々にヘルプしていただき、一枚のアルバムが完成しました。
このCDのジャケットに記録されていない、沢山の方々が、このアルバムの制作に想いを込めてくれていたことを、この、CDのジャケットを見るたびに思い出します。
この写真を撮影していただいた時、フッと、風が吹き、私は、少し乱れた髪を直しながら、目を閉じ、そんな、今までの事を頭の中で振り返っていたからです。みんな、長い時間かかったけど、やっと、今、完成したよ。本当に、今まで、ありがとうね。と。このアルバムの為に、皆さんと過ごした時間が、頭の中を次々と通りすぎて行きます。

関わって下さった皆さんの愛情が込められ、完成したそんなアルバムを、雑誌で紹介して下さったジャズ評論家の方がいらっしゃり、その記事を読み、聴いてみたいと、興味を持って下さったジャズファンの皆様からの依頼により、レコード会社から、セールスのオファーをいただき、このような形で、沢山の方々にこのアルバムを聴いていただけるようになった事、とても嬉しく思います。

これからもレコーディングは続くけれど、毎回、コンセプトを大切にして、前回よりレベルアップできるよう、初心を忘れないで、発展する為の努力を惜しまず、これからも、一枚、一枚、丁寧に、愛情込めて創っていきたいと思います。

最初のきっかけを下さったHarvie さん、ヘルプして下さった恩師、私のバンドメンバー、
完成までに関わって下さった皆さんと、CDを購入して下さった皆さんに感謝です。

ありがとうございます。

さて、そんな、Harvie さんと出会った場所でもあります、大きな大きなイベント、若松 鉄人Jazzは、1200名様の方から入場の応募があり、今年は、10/7に開催されます。私も、少しだけ、参加させて頂く事になりました。お世話になった皆さんにご挨拶し、翌日、
10/8から、今回は、いつもより、少し長めにニューヨークへ行ってきます。